熊谷 和・琉裁きもの専門学院

熊谷 和・琉裁きもの専門学院:和裁士として生きる

熊谷フサ子 プロフィール

熊谷フサ子 プロフィール

昭和18年 沖縄本島南部旧高嶺村字真栄里にて誕生。
糸満高等学校卒業、季節工として上京、その後、東京にて和裁の修行を積む。
昭和44年 帰沖、島尻きもの学院を設置。
昭和51年 同学院を熊谷職業和裁学院と改称。
昭和54年 表千家流地方講師免許取得。
平成8年 日本女子大学通信教育部生活芸術学科卒業・家政学の学位を取得。
厚生労働省・和服制作作業1級技能士取得。
平成12年 沖縄県優秀技能者賞を授く。
平成19年 沖縄大学大学院・現代沖縄地域研究科沖縄・東アジア地域研究専攻修了。
平成19年 『沖縄における手縫い文化の探求付琉服の裁ち方・縫い方』著
平成26年 『當銘正幸コレクション調査報告並手ぬい職人のカンどころ』著
平成26年 「現代の名工」認定を受く。
平成28年 同学院を熊谷 和・琉裁きもの専門学院と改称。

和裁士として生きる~インタビュー~( 2015年4月 )

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和裁士とは

この時代に、ミシンを使わずに手縫いというのは、なぜですか?
初めに、和裁士という呼び名は国家資格の呼び名であることを申し上げたいと思います。
これはあくまで和服を対象とした呼び名であって、沖縄にあっては「和裁士®チンノーヤー」と 私は呼んでいます。
和服ももちろんですが、沖縄では琉服というものがあります。
その際、和裁士という呼び名ではしっくり来ません。やはり、「チンノーヤー」です。
そうなんですね。
手縫いすることの利点は、仕立て替えが可能であることです。
着物の良さは親から子へ、子から孫へと、縫い替えてそれぞれのサイズで着られること。
でも、ミシンはその着物の可能性を打ち消してしまいます。
繊維の目を無視してズバズ縫ってしまっては、せっかく長く着られるいい生地が台無しです。

私はいつも、布と対話しながら縫う、と言うんです。
縫いながら、布と相談する、着る方の顔や体系を思い浮かべながら、作業を進めていきます。
反物がいかに素晴らしくとも、それだけでは未完成の布に過ぎません。
私たち和裁士が縫うことによって着物として完成するのです。
言わば最後の工程を担う責任重大なパートなんです。
なるほど、反物(生地)と和裁士は、どちらが欠けても意味が無い。
ということですね。
すばらしい染め織りの反物も和裁士の技術で初めて作品になるものです。
自ら生活の中にきものを着用し、着物を楽しむ・着心地を確かめ、技術向上につなげる。
染織品の仮仕立ても見栄え良く作品に仕上げるのも和裁士・チンノーヤーの特技
といえましょう。

和裁士の日常

和裁士さんって、サラリーマンと違って、時間に束縛されない事が、魅力的だと思うのですが、
熊谷先生の1日を教えていただけますか?
私の場合は、疲れたら休むこと。
健康第一、体が健康であればいい仕事が出来ます。
私は毎日早寝早起き。朝4時には起きて、どんなに遅くとも10時には寝るようにしています。

早朝から教室の始業時間の9時までの4・5時間は一番集中できる時間
午前は訓練生と、午後は自由な時間、移動時間にでも出来る仕事が用意できるのも 和裁士の時間の使い方の一つ。
旅行中にだって出来る仕事もあります。旅行も楽しみ、その間、仕事を楽しむことも出来ます。
ここで確認しておきたいことは、和裁は努力を評価するのではない、作品の出来栄えが求められる
ということです。徹夜をして仕上げたものより、健康で楽しく仕上げた着物のほうがいい出来栄えに
なるのは自然なことですね。

後進の指導 ・育成

次に、学院の生徒指導や育成に関してお聞かせいただけますか?
この学院は職業和裁学院というだけに、座学だけでなく、体で覚えることが第一。
和服、琉服といっても同じ縫い方はしません。
経験が一番大切なんです。
縫って縫って、繰り返して覚えるのです。
ひたすら縫うのですね(笑)
指導の為に、一人ひとりに付きっきりになってしまいませんか?
クラスに大勢の訓練生が居ようとも、手の動きでわかります(笑)。
出来てるな、手間取ってるなって。クラスで教えている時間も楽しいですよ。
現在は訓練生が好きな作品を縫う一般講座がメインですが、次年度は後進育成を重点にして
受講生を限定して募っています。

この中で特筆すべきことは、中高の家庭科教職員過程の資格として和裁を一つの単位として
組み込む活動をしていることです。
新年度の訓練生には、大学通信教育の学費、時間的サポートをする。
学びながら通信制大学で教職員免許を取る。しかも運針のできる先生を育てる。
それが可能になれば、さらに和裁士のすそ野は広がるはずです。

学院修了後の仕事について

さて、生徒さんが、一番気になるところだと思うのですが、
卒業後の仕事の需要はいかがなものなのでしょうか?
他府県では大変だなんて話も聞きますが、少なくとも私のところでは十分に仕事はあります。
現在でも仕立てをしながら訓練をしています。つまり実習奨励金として支給しています。
学院修了生には、月平均5枚~、の仕事をすれば標準的生活ができる、と言ってます。
地域にとけこみ、信用してもらい、仕事を増やす。
地域で和裁士であることを知ってもらえば、立派に仕立て職人として成り立つはずです。

文化人として

熊谷先生は、国宝級の着物のレプリカも縫われたことがあるとのことですが、
そのきっかけは、何だったのですか?
私の大学院でのテーマは「縫い文化の探求」でした。
先人たちは、縫いには邪悪を払う力があると信じ、子供衣裳に
「背守り・マブヤー(魂)ウー(糸)」を付しました。
そんなことから、昨年は、那覇市歴史博物館収蔵の国宝、王衣裳・唐衣裳・裙・胴衣・等の
レプリカ作成を試みる好機がありました。
先人たちの手作業から学ぶことは、多々あります。
歴史的資料のレプリカ作成も、つまりは先人から学ぶこと、なのです。
レプリカを縫うことによって、見えた事は?
民俗学者も、生地や様式には着目するんですが、
縫い方、糸使いにはほとんど目を向けていません。
先人の縫い技法や手法から、往時の生活文化、社会環境などが見えること、
針目で凡その時代推測ができるのも「縫いの探求」の面白いところでしょう。

かつての琉球尚敬王の冊封使節団・副団長・徐葆光『中山伝信録』のなかに裁縫士を二人が
乗組員として記録されている。縫いから見える歴史があるんです。

和裁士を志す方に

最後になりましたが、「和裁士」に興味を持った方へ先生から一言
お願い致します。
和裁士に器用・不器用の差は関係ありません。誰にでも出来る仕事だと思っています。
関心のかる方には薦めたい職業です。
私も初めは上手くなかったんです。先生や友人など周りから助けられながら始めました。

和裁士は時間にしばられず、努力にこたえてくれる職業です。
そして、何年やって来たかではなく、何枚縫ったかが大事なのが和裁士です。
卒業した暁には、月10枚の仕立てが可能でしょう。
それにはまず、健康であること、健康管理も仕事のうちです。
仕立て屋というと、下ばかり見て黙々と長時間縫物をするというイメージを持たれている
かもしれませんが、健康的にやること(笑)。
特別なことはではなく、早寝早起き、規則正しい生活を送っていれば、
自然と仕事も楽しくスムーズです。

どうか自分の職業にするんだという志を持って、入学してください。
責任を持ってサポートいたします。
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